パパ時々夫たまに自分

「パパ」から「夫」から「自分」から発信する埼玉中心のマイペースな日常ブログ

娘誕生そして(完結)

 

papaotto.hatenablog.com

 からの続きです。

 

NICU(新生児集中治療室)で治療している我が子。

相変わらず管は多く全身麻酔で眠らされています。

 

入院してから3,4日後くらいでしょうか?

担当医からひとまず危険な状態は脱しましたとの報告が。

ひとまず第一段階はクリア。

ホッとしたのも束の間

「ただしまだ後遺症の恐れはあります」

相変わらず不安を煽ってくるよね...事実なんだけどとりあえず今は危険な状態は脱したんだからわざわざ言わなくてもいいじゃん。

 

ちなみに自分はというと両親のみ面会時間内であればいつでも面会出来るとの事だったので毎日仕事終わりに片道40分くらい車を走らせて会いに行きました。

 

それを見た奥さんや奥さんの両親からは「赤ちゃんは病院という安心なところにいるから無理しないで。」とか「たまには休まないと」と心配をされましたが、どうしても会いに行かないわけにはいかず通い続けました。

間違いなく疲れて帰ってきてるはずなのに子どもに会えるからなのか車に乗るとすぐ疲れを忘れる不思議。

 

危険な状態を脱してからは徐々に管も少なくなりやがて麻酔も必要なくなりました。

そこで初めて起きている我が子と対面。

ようやく面と向かって言葉を交わす事が出来ました。

 

んで1週間後、奥さんが初めて我が子と対面。

 

思えば子どもを産んですぐ離れ離れになってどんな子かも分からずどんな状況かも分からず退院するまで我が子がいない中で毎日他のママ子どもと沐浴や授乳についてのレクチャーを受ける日々...相当辛かったと思います。

そこからは無理のない範囲で奥さんも面会に行くようになりました。

 

そして緊急入院から2週間後、NICUからICU(集中治療室)へ引っ越し。ごちゃごちゃと色んな医療器具があった部屋からだいぶスッキリした部屋になりました。

次第に面会中にオムツ替えや奥さんの授乳など触れ合える時間も増えてきて生まれて約1ヶ月いよいよ退院の日。

この頃には生まれた頃と比べ丸々とお太りになられてました。

 

そこから始まるパパママ奮闘記。

今年であっという間に5歳。

心配された後遺症は今のところなく、1年おきの定期検診でも問題無し。

すっかりイケメン大好き大食いわんぱく娘になっております。

 

そういえば生まれる前に色々考えていた名前、色々あったので候補は全部却下。

元気にしっかり生きて欲しいという意味を込めて新しい名前をつけました。

 

名前どおり元気です。元気すぎて困ってます(笑)

 

 

 

それでは!